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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   拍手したり、褒めると、伸びるタイプです。

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スマホの画面が1ミリくらい上がっていたので、何でずれたんだろ?と思って、押して戻そうとしても戻りません。
どうもバッテリーが膨らんだらしいのですが、そのままにしていたら、だんだん盛り上がって5ミリくらいに成長しました。

auに持っていったら、iPhone5はAppleのお店で修理して下さいと言われ、Appleに行くと2年の保証期間が過ぎているので、1万3千円くらいかかるから、機種変更したほうがいいかと思うと・・・言われ、バッテリーは発火したりしないですかねと聞いたら、それはないと言われ、どうしたもんじゃろかな〜と思いながらも使っていたら、だんだん盛り上がってきて、au関係の知り合いに聞いたら、2日後の火曜日に一緒にauに行きましょう!と言われ、機種変更することに・・・
しかしその直後、うんともすんとも言わなくなって、二度と作動しませんでした(ノ_-。)

結局、盛り上がりを計ってみたら、1センチ8ミリに育っておりました。ああ、こわい.....


よくぞここまで盛り上がりました!こわっ!

auで機種変の手続きをした時、ここまで盛り上げたのは初めて見ましたと言われ、僕も2週間でよくぞここまで育ったものだと誇らしい気分になってました。

一番お得なのは、iPhone6に機種変だそうで、購入しましたが、データも消えて、電話番号のわかる人だけは入れ直しです。わからない人は???トホホ...

この一週間にをLINEを送っていただいた方、ごめんなさい。


ホチキスとお思いでしょうが、実はなんとスマホです!

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9月19日(祝)彦五郎忌・新選組講演会
(菊地 明氏、伊東成郎氏、山村竜也氏、モデレーター・佐藤福子)

朝から雨が降っていて、一日中止みそうもない雰囲気。ネットで天気予報を見たら、日野市は降雨率はなんと70%!
皆さん来ていただけるんだろうか?と心配でしたが、第1部の法要では100名ほどで、ここで既にお寺の本堂はいっぱいです。

10時すぎ、小雨の中、お寺での受付を始めましたが、毎年受付をやっていただいているX本は、前日から既に「寝坊したらごめんなさい」の予防線メールを送ってきて、遅れる気満々みたいです。
日野新同好会会長の峯岸さんが、受付をかってやっていただき大変助かりました。福子が「X本さんまだなの?」と言ってましたが、そうこうするうちにX本もやってきて、これで万全体制です。
峯岸さんには午後も受付をお手伝いいただき、ありがとうございました!

無事、法要も終わり、講演会の準備となります。
ひの煉瓦ホールに移動し、看板に貼るタイトルやら、配るものやら、受付の準備やらを終え、忙しい中、X本の代わりに受付もやったりしていたら、開始時間すぎになってしまいました。
毎年、開始まで時間があったので、間繋ぎの話をしていて、今回は「7時にあいましょう」収録裏話や片岡愛之助さんの話など、10分くらい予定して用意してました。
しかし、先生方もそでで控えておられるので、すぐ登場していただき、紹介をさせていただき、慌ただしくトークショーが始まりました。

今回は事前に「居酒屋で、新選組好きな3人が語り合ってるような感じでお願いします」とお伝えしてあったので、前回より面白いトーク・セッションになったと思います。
前回、9年前はこの3人の歴史研究家の皆さんが、80年代に母との関わりがあり、3人揃ってのトークショーは面白いのではないかと、僕が提案して実現しましたが、
今回は、資料館開設10周年記念として、福子がもう一度3人のトークショーが出来たら.....ということから始まりました。
3先生方に連絡を取ったところ、福子さんの依頼でしたら是非という有難いお言葉をいただきました。

先生方へ聞くことも、2時間で足りるようにと思い考えましたが、知り合いにもメールで何か質問はないですか?と連絡して、返事をいただきました。
しかし、今回は半分ほどしか使うことが出来なくて、せっかく考えていただいた方にはごめんなさい。この借りはどうして返したらいいでしょう?
またの機会でいいですか?・・・あるのか?


(満員になりました)




(控え室でのショット。菊地さんはタバコを吸いに行っていて不在)


(J:COMから取材の話があり、講演会の模様を収録されました)

講演会も無事終わり、4時半には会場完全撤退してくださいということだったので、急いで片付けて、サイン会も一階ロビーに移動していただいたり、慌ただしいまま懇親会へ。
懇親会の居酒屋は36名用の部屋だったのですが、HPに懇親会の予定を載せたところ、さくさんの予言通り、数日でいっぱいになってしまいました。しかも予約していない方も紛れ込んだようで、40名になってしまいました。
懇親会、先生方とファンの皆さんが平等に話せるようにもっと、30分ごとに移動できるようなシステムにすればよかったなと反省しました。真摯に反省する心、大事ですなぁ...反省は人を成長させると言いますからね。
またの機会があったら、無理やりチェンジ制を施行したいと思います!・・・あるのか?



毎年の彦五郎忌は最後ということですが、皆さんからのご要望があれば、個人的にはイベント的なこともやる気はあるんです。館長次第で。
これからもよろしくお願いいたします!

最後に、新選組関係者の紹介をしましたが、読み練習もせず、カミまくったことを浅く反省いたしました。お詫び申し上げます。またもや反省、大事ですなぁ...反省は人を成長させると言いますからね。


また会いましょう!

当日、いろいろお心遣いをしていただいた皆さま、お手伝いいただいた峯岸さん、Aさん、Kさん、Sさん、Tさん、Mさん、Iさん、Yさん、Tちゃん、本当にありがとうございました。

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市村鉄之助が佐藤家に着いたのが、147年前の今頃・・・
歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出して、数日かけての航行で6月末には横浜に着いてから、佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日といわれます。
歳三は、一番大切な身内へ形見の品を送りました。
日野の佐藤彦五郎の家にたどり着いた市村鉄之助によって、写真、遺髪、辞世の句や書付けなどがもたらせました。




その後、明治四年(1871年)までの約2年間、歳三の遺言どおり、佐藤家で匿われました。


(先日撮った市村鉄之助が匿われていた部屋。床の間の上部にオーブが見えますが、鉄ちゃんが挨拶してきたのか?(^-^)/
匿われたと云われてますが、最初だけで、読み書きや剣術を習って、普通に生活していました)

「彦五郎忌・新選組講演会」の予約も受付中です。メール、またはお電話でお申し込み下さい。

Eメール d-fab★sage.ocn.ne.jp ★を@に変えてください。

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明治2年5月11日は、新暦の6月20日。土方歳三の命日です。



新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。
歳三の最期の時、また市村鉄之助が脱出したのもそんな季節だったので、
函館に居ると、より肌で感じられることと思います。

昨年は、碧血碑慰霊祭140年記念で、館長が“歳三の姉の子孫”として招待され、僕も函館に行きました。とてもいい季節でした。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待つこととなります。出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのでしょう。
到着後、間もなく質屋に立ち寄ったという記録があります。
当時、目的地に行くのも簡単ではない筈です。身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日との説があります。
この時期は梅雨の真っただ中。
鉄之助は、歳三の命を受けて持ち運んだ遺品・・・写真、遺髪、刀、書き付け・・・
「使の者の身の上 頼み上げ候 義豊」
いつもの署名、土方歳三ではありません・・・
そして戦況を伝える手紙は書いていませんでした。


賊軍となってから、筆まめだった歳三が、そこから手紙を一切出さなくなりました。
父母のように慕った彦五郎やノブに、いらぬ嫌疑がかかってはならないと、証拠に残る手紙を書けなかった。何をやらせても、そつなく出来た歳三は彦五郎、ノブへの配慮も忘れませんでした。
北へ向かう会津、仙台、箱館。もっと手紙を出したかったことでしょう。そんな歳三の気持を考えると可哀想だったなと思います。
歳三の一番大切な身内への心遣いは、市村鉄之助に伝言としてもたらされました。

「われ、日野佐藤に対し、何ひとつ、恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を」




旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、東京(当時、多摩辺りは神奈川県)では梅雨の時期だったなんて考えてみて、当時へ思いを馳せるとより実感できるかもしれません。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな~なんて考えてみると、おもしろいものです。

福子は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶでしたので、市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、可哀想でなりません。
歳三の冥福をお祈りいたします。

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6月12日(日)
福子新選組倶楽部のイベントで、「ザ★刀剣」展(東京富士美術館)を見学しました。
都心の美術館にはよく行っている僕ですが、この東京富士美術館のことは全く知らなくて、
今回のザ★刀剣展で、土方歳三の刀を展示のお話しがあって初めて知りました。

美術館の集合時間がちょうど昼時ということで、その前に美術館内にある「セーヌ」で、
サクさんも一緒にランチをすることになりました。
天気もいいので外のテーブルに行きましたが、これがなかなか気持よかったです。



「セーヌ」はフレンチレストランらしいのですが、パスタが充実していて、これってイタ
リアンぽい系フレンチかなー?・・・
でも、ここは展示テーマに合わせた料理もあるらしく、刀剣ランチを頼んでみましたよー。
なにが刀剣なのかと思ったら、サクさん曰く、長ナスがどうも刀を表しているらしいです。



さて、集合時間も近づいてきたのでロビーに行くと、皆さんお揃いなので受付を済ませ、
ご入館となりました。



奥に行くと土方歳三さんが待っていてくれたので、一緒に記念撮影をしました。


(僕のとなりが歳さんです。表情にこそ出しませんが、歳さんも嬉しそうです。)

13時から14時半まで、刀匠・月山貞伸氏と学芸員の鴨木氏のトークセッションで、鴨
木氏の計らいで、全員上席でした。

刀匠・月山貞伸氏はお話しも上手く、刀の作り方についても分かりやすく解説していただ
きました。



長い刀をすり上げた時に、銘が切れて無くなってしまうことがあるとのお話しがあり、当
資料館の彦五郎の刀が、それなんだろう・・・と納得できた気がしました。
というのも、刀の幅や鋒(きっさき)の長さからして、もっと長い刀だろうと考えていた
からです。それに溝(樋)がずっと茎の最後まで彫られていて、随分すり上げた刀であり、
そのため、銘が無いのだろうと思いました。


(一見、月山先生がバイオリンを弾いているように見えますが、実は刀をカメラで撮って、
後ろのスクリーンで映すという技でございます)




(刀身をなるべく良く見てもらうための透明のアクリル製の刀台)

トークセッション終了後には、特別に月山貞伸先生との集合写真を撮らせていただきまし
た。


(僕のとなりが月山さんです。表情にこそ出しませんが、月山さんも嬉しそうです。)

その後、ミュージアム・シアターで「百錬精鐵」月山の誕生や刀を製作するまでの映像を
見ました。

最後にいよいよ刀剣展示の鑑賞となりました。
今回の展示では、約40振りの刀が並んでおりましたが、それはそれは壮観というかすご
い!です。土方歳三の「越前康継」も当資料館での展示とは、また違った趣きで素晴らし
いものでした。


(越前康継の刀身。左手奥にはフルベッキ写真。スタッフ腕章をつけて撮りました)


(特別にスタッフを腕章をお借りして撮りました。ダイヤモンド富士ならぬダイヤモンド福子ですかね。)

他にも四つ胴截断の虎徹など、名刀が展示されていました。


大太刀は刃長が136.5cmもあって、ちょっと見、小舟かと思いましたよー。


この日は、月山貞伸先生を撮り続けているテレビ東京の撮影隊もいて、倶楽部会員のK
さんもインタビューされていました。
7月に放送されるそうです。
それについては、またお知らせできればと思います。


(ブラジル写真展コーナーに、素敵なホテルの古写真)


(常設展には、ルノワールの絵画など西洋絵画がありました。下見の時)


現行のHP 佐藤彦五郎新選組資料館

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