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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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7月22日(日)に、日野市消防団ポンプ操法審査会(ポンプ車の部)が、市民の森ふれあいホール駐車場で行われました。



日野市の消防団は8分団あり、各分団のポンプ車配備されている部、全8チームが大会に出場しますが、第1分団は第1部がポンプ車をお持ちのため、夜間や休日も練習で大変です。
我が第1分団第2部は、充水係担当のため、歩道にある消火栓から6本のホースを繋いで、会場にお届けする役目です。



消火栓のある歩道を通る自転車や歩行者の皆様に、足元の注意を喚起し誘導するのも役割ですが、なにしろ当日は気温37度くらいなので、熱中症対策もしなければなりません。
こんなに暑いと、出場選手も汗だくで大変だなぁ...









大会は9時から12時50分までですが、ポンプ操法終了後は即ホース6本を積んで詰所に戻り、即ホースを干して、即お昼を食べました。
この片ずけの速さが、消防団で日頃培った鍛錬の成果ですかね。

干した6本のホースも3日後には、ホース巻き器でぐるぐるやって即収納です。





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福子倶楽部会員の羽生(はぶ)家ツアー、いよいよメインの屋敷見学です。

バスに乗り遅れた分際なのに、傘をさして歩くこともなく羽生家に先に着いてしまってゴメンなさい。
羽生家に着くと三階建の大きな蔵と大きな門が見えます。その大門の前にバス停から歩いてきた皆様も揃いました。(この門が本当にでかい!)



羽生謙五さんも出て来られたので、福子が先ずお墓参りをしたい旨を告げると、了解されお墓へ案内してくれました。

清源寺の横をすぎ、奥の奥に羽生家のお墓がたくさん並んでいました。
羽生さんが説明を始めると福子がお酒を手前にあった羽生家のお墓に供えましたが、そこが上羽生家とは限らないので、まだ早いんじゃない?というと案の定、他の羽生さんでした。

並んだお墓の正面中央が、羽生家初代伊賀守夫妻と二代目大膳夫妻(両家共通)の墓標で、右が上羽生家、左が中羽生家のお墓だそうです。夫婦一代ごとに歴代お墓を建てているようです。




彦五郎らを匿ったときの当主、14代羽生傳蔵さんのお墓のご説明。

お墓を後にして、油屋地蔵尊での絵馬?ご説明がありました。
天然記念物の「ヒメザゼンソウ」探しでは(これは本当に探すのが困難)諦めかけたとき、Kさんが見つけ次から次に見つかりました。さすがKさんです!


中羽生家も長屋門の中へ入って説明を受けました。

そんなこんなで、ついに上羽生家の中へご案内されます。
正面の大門は普段使用しておらず、通用門から入りました。


屋敷の東側にある通用門

蔵が6戸前もありますが、明治15年、大久野村一体が大火事になった時、残ったのが蔵だったことから「大事なものは蔵へ」という習わしになったそうです。

米蔵と味噌蔵を開けていただきご説明がありました。



奥へ奥へと裏庭の方へ行きましたが、とにかく敷地が広いのです。東京ドーム半個分はありそうです。


こいのぼりを立てるときの穴があるそうです


ガス灯の名残


三階建の蔵


主屋の西側には書院があります

大門のところでは、せっかくだから開けましょうということで、年一回開けるかどうかの門を開けていただきました。


大門の内側です


とにかく人間と比べても、やたら大きいことが分かります

小雨がぱらついていましたが、門から見る屋敷一帯を見ながら、雨の風景も色が際立っていいものですね...と羽生さんが言われました。
ああ、今日は雨で良かったんだぁ、、、という気持ちに即なりました。
しっとりとした雨の情景に感謝!です!!
ただ、また見学させてもらえるとすれば、晴れでお願いします。



主屋の正面玄関から座敷に入れていただきましたが、中を見せて頂けるとのことでしたが、上げて頂けるとは思ってなくて驚きと感激でした!
書がいくつかあって、これが何々の書です...と説明はあったものの、分かったのは、三条実美の書だけでした。
襖も豪華で説明を受けましたが、金屏風、金に漢詩書の襖、金に墨絵の襖、春夏秋冬が描かれた襖、どれもこれも素晴らしいものでした。

さてさて、今回、羽生家が所蔵している「近藤勇の書簡」を見せて貰えるのではないかという話もありましたが、、、
じゃーん!羽生さんが近藤勇の書簡を手に持たれているじゃないですか!
和紙の包みから取り出された近藤勇手簡は、当時のままの状態で保存されていました。

これを広げてくださいと羽生さんからのお言葉があり、皆さんが「それなら福子さんしかいない」ということで、広げることに。
この手紙のやり取りは、150年経った名主同士の子孫ですが、幕末にタイムスリップしたかのようでした。

手紙を広げたとたん、いろんな手が出てきて、シャッターを切り始めました。
近藤勇の手紙を、ガラス越しではなく直に、許可も得ずに撮るなんて、なんと贅沢なことでしょう?こんなこと有り得ないと心で叫び、僕もシャッターを切っていました(笑)


近藤勇の手紙と書き添え。下の書は当時、羽生家の方が書いて残したものと思われます。
「関東之魁傑近藤勇手簡」と書き添えてあります。

当家の伝承では、勝沼戦争で惨敗し、日野に戻ってすぐ新選組関係の文書類を手分けして持って逃げたとありますので、混乱した中、彦五郎が羽生家に置いていったものとされておりますが、多くの説が『羽生家に潜伏していた時期があったことから、近藤勇の書簡を預かっていた彦五郎が、置いていったものと推定される』とあります。
なぜ近藤勇の手紙を羽生さんに預けたと思われますか?の問いに羽生さんは、
羽生家も同じく、徳川に準ずる幕府側でしたので、「(羽生家が)口が固かったからと考えられます」ということでした。
明治15年、大久野村大火災の時も守られてきた近藤の手紙です。
新選組の文書は、幕府側の羽生家にとって、また佐藤家にとっても処分などできない、大切なものだったのですね。

この手紙の宛名は、「三浦休太郎様 近藤勇 机下」とあります。

三浦休太郎とは、坂本龍馬を暗殺した中のひとりとして考えられました。その仇をとるのでは?と三浦は命の危険を感じ、会津藩を通じて新選組に警護を依頼します。
これじゃあ、何のことやら分からないと思いますが、「いろは丸事件」「天満屋事件」をキーワードに探してみて下さい。

手紙の主旨は、伊東甲子太郎が新選組と分裂したあと、斎藤一を間者として伊東の御陵衛士に潜入させました。近藤勇、土方歳三の暗殺の情報を得ると御陵衛士を脱走し新選組に伝え、名前も山口二郎と変えました。二郎は三浦休太郎の警護として潜伏しましたが、近藤勇も伊東甲子太郎一派の暗殺を目論み、事情も知り、腕の立つ二郎を断りもなく引き取ったことへのお詫びの手紙です。


羽生謙五さんと近藤勇の手紙

羽生家訪問は、念願でもありましたが、羽生謙五さんのご好意で、夢のような時間を過ごさせていただくことが出来ました。このような機会を持たせて頂き感謝申し上げます。


※帰り道だったので駅を降りて、彦五郎一行が羽生家に案内される前に立ち寄った、二宮神社と井上才一の天然理心流の碑を希望者4名と見学して帰りました。

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7月1日(日)開館日、
2018年、ひの新選組まつりのミスター土方さんが来館されました。
受付で、あれ?土方歳三??と思い、訊いたら、やはり土方歳三ご本人でした。

ミスター土方の時は、隊服のせいもあってか雄々しくて背も高い印象でしたが、ご本人は女性らしい綺麗な方で、背も思ったほど高くなくて、161センチだそう、、、
ブーツは26センチもあったので、中敷を入れたりして少し高くなったそうですが、歴代のミスター土方では一番背が低かったとのことです。
コンテストでは最後の4人に絞られてからも、まさかミスター土方に選ばれるなんて思ってなかったようで、決まった時はびっくりだったそうです。

まつり当日、パレードは例年は2周なのに、雨のため1周だけで中止になってしまったことが本当に残念だったと言ってましたが、資料館の前をパレードしてくれるので楽しみだっただけに、こちらも残念でした。



今日は、コンテストの隊士役の皆さんと沖田総司忌に参加してから、別行動で日野まで来られたそうです。
ありがとうございます!

昨年のひの新選組まつりでは、沖田総司役を射止めて、その後、隊士役の皆さんと当資料館にもご挨拶に来られましたが、その時もギャップがあったことを話すと、沖田総司役の場合、メイクさんが可愛いイメージで仕上げることになっているらしいです。
「沖田総司」と「ミスター土方」両方選ばれるなんて、すごいですね!



遠くて大変かと思いますが、機会があったら、隊士役の皆さんともまたご来館ください。

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明治2年5月11日は、新暦1869年6月20日。土方歳三の命日です。



新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日、1869年6月20日が土方歳三の命日にあたります。
歳三の最期の時、また市村鉄之助が脱出したのもそんな季節だったので、
函館に居ると、より肌で感じられることと思います。
初夏の函館は、とてもいい季節です。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待つこととなります。出航したのが6月20日過ぎになります。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたと思われます。
到着後、間もなく質屋に立ち寄ったという記録があります。
当時、目的地に行くのも簡単ではない筈です。身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日との説があります。
この時期は梅雨の真っただ中。
鉄之助は、歳三の命を受けて持ち運んだ遺品・・・写真、遺髪、刀、書き付け・・・
「使の者の身の上 頼み上げ候 義豊」
いつもの署名、土方歳三ではありません・・・
そして戦況を伝える手紙は書いていませんでした。


賊軍となってから、筆まめだった歳三が、そこから手紙を一切出さなくなりました。
父母のように慕った彦五郎やノブに、いらぬ嫌疑がかかってはならないと、証拠に残る手紙を書けなかった。何をやらせても、そつなく出来た歳三は彦五郎、ノブへの配慮も忘れませんでした。
北へ向かう会津、仙台、箱館。もっと手紙を出したかったことでしょう。そんな歳三の気持を考えると可哀想だったなと思います。
歳三の一番大切な身内への心遣いは、市村鉄之助に伝言としてもたらされました。

「われ、日野佐藤兄に対し、何ひとつ、恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を」


旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れたとされる天保6年5月5日は、1835年5月31日となります。

歳三の命日は、東京(当時、多摩辺りは神奈川県)では梅雨の時期だったなんて考えてみて、当時へ思いを馳せるとより実感できるかもしれません。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな~なんて考えてみると、おもしろいものです。

当家は、歳三のすぐ上の姉ノブの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったノブでしたので、市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、なんと忍びないことか。
歳三のご冥福をお祈りいたします。

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6月10日(日)
羽生家ツアーを行いました。



10時に福生駅に集合。
小雨の中、バスで「塩沢秋川霊園」まで向かいました。
ここでは、「塩澤山寳光寺」と「鹿野大仏」を見学します。

バスを降りるとすぐに「塩澤山寳光寺」に着きます。
入口のリッパな総門から、たくさんのリッパな羅漢像の並ぶ坂を登り、リッパな階段を上がるとリッパな山門があります。
山門をくぐるとリッパな庭園とリッパな梵鐘があり、正面にはリッパな本堂があります。
このリッパなお寺を抜けると山の上には、リッパな大仏があります。
みんなバランバランとまとまらずに緩やかな坂道を登ってゆきます。











さて、早く着いた人はいいのですが、タラタラ登ってきた人はゆっくりできずに、雨の大仏もみんなで集合写真を撮ったらそこそこに、バス停まで一気に下ります。


(雨に濡れる鹿野大仏)


(途中にいたカエル。この時期は欠かせません!)


(寳光寺の横道を下っていきます)



バス停に戻ると、今度は「武蔵五日市駅」まで一気にバスで進みます。

武蔵五日市駅で降りると、駅前にあるレストランへ。
ここで予約していたレストランに入りましたが、人数分のテーブルがセットしてありました。
ここは、ランチがスムーズに済むように、事前に「薬膳カレーライス」と「ホワイトオムライス」の2種に絞り、いずれか希望をとって予約しておきました。
僕の予想ですと、
12:00に18人が席に着く→12:05にすぐ料理が運ばれてくる→12:06食べ始める→12:30食べ終わる→ヒマを持て余す→12:50バスに乗る→13:00バスが出るというシナリオでした。でも実際は違いました(-_-;)



僕は奥の端っこに座り、右隣がSさんで向かいが清水先生でした。
Sさんが「羽生家の敷地は広いんでしょう?」と訊いてきたので
「はい、だいたい東京ドーム3個分くらいです」と言うと
Sさんと向かいの清水先生が「ええー、そんなに広いの?」と驚きの声。
むむ、この冗談、キレが悪かったのか?反省いたしました、、、(~_~;)

さて、駅前のレストランなので、道路を渡った3番バス停で13時発のバスに乗ることになっていましたが、乗り遅れが2人でました。
先の僕の予想とは違い、18人分、サラダと小さなスープが既に用意されており、また違うスープが運ばれ、先にカレーが運ばれましたが、カレーも12人分だと時間がかかります。その後、オムライスが運ばれ、食事が終わった人からそれぞれに、好みの飲み物が運ばれましたが、コーヒーがなかなか来ず、僕にコーヒーが運ばれたのは12:45くらいでした。予定だと『ヒマを持て余す』がそろそろ終わる時間です。
50分くらいから、トイレに並び始め、会計が並び始め、バス停にも並び始め、もう13時前なので「皆さんバスに乗って、大久野中学校バス停で降りてください」と告げ、レストランを見たら、遅れ人待ちの福子と遅れの2人がいました。

その後、4人はタクシーで羽生家へ向かいました。
バスを降りて雨の中、羽生家に向かって歩いている人たちを、タクシーは追い抜いて行くのでした。スミマセンemoji

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