忍者ブログ

佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   拍手したり、褒めると、伸びるタイプです。

市村鉄之助が佐藤家に着いたのが、147年前の今頃・・・
歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出して、数日かけての航行で6月末には横浜に着いてから、佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日といわれます。
歳三は、一番大切な身内へ形見の品を送りました。
日野の佐藤彦五郎の家にたどり着いた市村鉄之助によって、写真、遺髪、辞世の句や書付けなどがもたらせました。




その後、明治四年(1871年)までの約2年間、歳三の遺言どおり、佐藤家で匿われました。


(先日撮った市村鉄之助が匿われていた部屋。床の間の上部にオーブが見えますが、鉄ちゃんが挨拶してきたのか?(^-^)/
匿われたと云われてますが、最初だけで、読み書きや剣術を習って、普通に生活していました)

「彦五郎忌・新選組講演会」の予約も受付中です。メール、またはお電話でお申し込み下さい。

Eメール d-fab★sage.ocn.ne.jp ★を@に変えてください。

拍手[0回]

PR

明治2年5月11日は、新暦の6月20日。土方歳三の命日です。



新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。
歳三の最期の時、また市村鉄之助が脱出したのもそんな季節だったので、
函館に居ると、より肌で感じられることと思います。

昨年は、碧血碑慰霊祭140年記念で、館長が“歳三の姉の子孫”として招待され、僕も函館に行きました。とてもいい季節でした。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待つこととなります。出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのでしょう。
到着後、間もなく質屋に立ち寄ったという記録があります。
当時、目的地に行くのも簡単ではない筈です。身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日との説があります。
この時期は梅雨の真っただ中。
鉄之助は、歳三の命を受けて持ち運んだ遺品・・・写真、遺髪、刀、書き付け・・・
「使の者の身の上 頼み上げ候 義豊」
いつもの署名、土方歳三ではありません・・・
そして戦況を伝える手紙は書いていませんでした。


賊軍となってから、筆まめだった歳三が、そこから手紙を一切出さなくなりました。
父母のように慕った彦五郎やノブに、いらぬ嫌疑がかかってはならないと、証拠に残る手紙を書けなかった。何をやらせても、そつなく出来た歳三は彦五郎、ノブへの配慮も忘れませんでした。
北へ向かう会津、仙台、箱館。もっと手紙を出したかったことでしょう。そんな歳三の気持を考えると可哀想だったなと思います。
歳三の一番大切な身内への心遣いは、市村鉄之助に伝言としてもたらされました。

「われ、日野佐藤に対し、何ひとつ、恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を」




旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、東京(当時、多摩辺りは神奈川県)では梅雨の時期だったなんて考えてみて、当時へ思いを馳せるとより実感できるかもしれません。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな~なんて考えてみると、おもしろいものです。

福子は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶでしたので、市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、可哀想でなりません。
歳三の冥福をお祈りいたします。

拍手[3回]

6月5日(日)
数日前、福子新選組倶楽部のサクさんから、彫刻家の金子マコトさんが製作した「馬上
の土方歳三」像を納められたらとのご連絡をいただきました。
開館日に来られることが決まり、何点か画像もお送りいただき、是非、本物を見てみた
いと思ってました。

さてさて、サクさんと共に現れた金子さんは、大柄な方で、服装も芸術家の雰囲気アリ
アリでした。
いよいよ「伊場七郎?」と書かれた箱から出て来たのは果たして「馬上の土方歳三」!
なのでしょうか?
プチプチに包まれておりまして、伊場七郎なのか土方歳三なのかはまだ不明です。



でたぁ〜!
馬が出てきましたよぉ〜!
プチプチも取れて、ついに登場したのが「馬上の土方歳三」です!

初めて拝見いたしましたが、馬の躍動感が素晴らしい、俗にナポレオンと呼ばれている
馬が立ち上がった姿の像です!
ヒヒ〜ン...という声も聞こえてきそうです!



それに跨がった歳三ですが、金子さん本人は、いい顔ほどなかなか似せるのが難しいら
しいそうで、歳三の顔はそれ、近藤勇の顔のほうが似せやすいそうですよ(;´▽`A``



国内ではいろいろな歴史上の人物の彫刻を展示、奉納もされているそうですが、篤姫は
パリでも展示されたそうです。

今回、「馬上の土方歳三」を当資料館に奉納していただき、ありがとうございました。
皆さん、見に来て下さい!


(彫刻家・金子マコト氏と)

拍手[0回]

ひの新選組まつりが、明日から2日間(7土、8日)に開催されますが、
当資料館の開館時間は、通常より1時間早い10時からとなります。

この2日間のみ、市村鉄之助が歳三の命を受け、佐藤彦五郎に届けた「土方歳三写真」
近藤勇が彦五郎に手渡した「近藤勇写真」を展示いたします。

土方歳三が託した思い、市村鉄之助が悲しみ胸にたどり着いた思い、彦五郎、のぶの悲痛な思い、源之助や家族の涙・・・
時代を超えて、伝わるものがあると思います。

尚現在、近藤勇の佩刀「丹波守藤原照門」、土方歳三の拝領刀「葵御紋の越前康継」、「和泉守兼定」の脇差し、彦五郎の大刀と、4振りの刀身が期間限定で展示しております。

この機会をお見逃しないよう、ご鑑賞ください。

拍手[0回]

さて、夕食は、予約していただいたお店に案内されました。

左右、ロールカーテンで仕切られていて、個室風になっています。
真ん中に囲炉裏風の炭火焼きがあって、ここで焼き物を焼くという仕組みで、居酒屋風なお店です。

まず生ビールで乾杯したあとは、コースになっているようで、順番にお料理が運ばれてきます。


(刺身は美味しいですな〜、こんな美味しいイカ刺しは初めて食べましたよ。)


(うに豆腐です)


(いよいよ焼き物が始まります。)


(名も知らぬ魚も焼かれて食べられます。)


(ミニいくら丼)

食事が済みと、箱館山から夜景を見ることになりました。
この日は生憎、山頂がガスっていて、ケーブルカーのチケット売り場にも、展望台からの映像が映し出されて、「現在、このようにしか観られませんが、どうされますか」という説明がありました。
ぼんやりと函館の夜景が映し出されています。
20年くらい前に見たときは、百万ドルの夜景で感激しましたが、映像は百円くらいの夜景です。

明日は曇りの予報で、明後日は直会ですので、今夜しかないということでチケットを買いました。
ケーブルカーからの夜景はきれいでしたが、やはり展望台は霧が出ています。


(ケーブルカーからの夜景)


(展望台からの百円の夜景)

夜景の後は、ライトアップされた教会などを見ながら帰りました。




(レトロなホテル ニューハコダテは閉館したそうです)


(CMでもよく使われる有名な坂道)


(赤れんが倉庫)

明日は、松前、江差に向かいます。


拍手[2回]

カレンダー
04 2017/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[05/16 えみーご]
[12/15 From弘前]
[03/24 めぐ]
[09/13 K]
[01/19 隊長@流山隊]
プロフィール
HN:
chu
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
Script: Ninja Blog 
Design by: タイムカプセル
忍者ブログ [PR]