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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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7月3日(日)
TBSテレビ「7時にあいましょう」の収録が当家で行われました。

この番組の不定期なコーナーに「偉人の末裔にあいましょう」というのがあるんですが、前回は岩倉具視の末裔と勝海舟の末裔でした。
勝海舟の末裔には高山みな子さんが出演されていて、「あ、高山さんが出てるね」なんて話していたんです。
それから何日か経って、6月中旬ぐらいに土方歳三の末裔として(当家は歳三の姉の子孫)、うちに出演オファーがきました。

今回は福子的には、長女に代わりを務めてもらいたかったのですが、ディレクターの方は「福子であいましょう!」でって感じで、結局福子が出ることになりました。

当初、資料館での収録予定だったんですが、日野宿本陣をご案内したところ、ここでも撮りたいと話しになって、結局、本陣と自宅でロケすることになりました。

ロケに来られるのは、DAIGOさんと高畑裕太さんです。

10日ほど前から数回打ち合わせがあったのですが、収録日がまだはっきりしてなくて、7月中旬という話もあったのです。
それが急に3日の17時からと決まりました。
DAIGOさんのスケジュールがそこしか空いてないそうです。売れっ子だからなぁ.....
高畑さんだって、今、旬なお方です。

収録の3日は、ちょうど資料館の開館日で16時に閉館なのです!忙しくなるな〜。
日野宿本陣で撮影してからということで、本陣は見学者が残っている時間なので、大丈夫でしょうか???

さて、当日資料館閉館後、旗やのぼりを立て直して、自宅で打ち合わせが始まりました。

そんな忙しい中、福子にお客さんが来て応対したり、刀や近藤勇の短銃、沖田総司の書簡を和室にセッティングしたりと、着物を直す時間もないままに玄関で待機となりました。

間も無くDAIGOさんと高畑裕太さんが、撮影しながら玄関にやってきてインターホンを押すと、福子が出迎えるんですが、ここから全てアドリブです。

家の中にお招きして、いろいろやり取りがあるんですが、流れのまま収録が続きます。
時折カンペがでて、それをDAIGOさんがそれを拾って、福子に質問するという形です。

撮影はリビングだけで、和室に土方歳三の刀「越前康継」など3点の史料を置いていただき、そこから出してくださいということだったのです。
DAIGOさんと高畑裕太さんが、襖を開けて床の間に置いた「越前康継」を見て、、、、そのまま和室で撮影続行となりました。

二人が刀を持つということになり、DAIGOさんは革手袋から白手袋に!
実際には、刀身は保護のため白鞘に入れ、代わりに竹光を入れているので、それほど重くはないのですが、DAIGOさんはそれを察して「ズシッと重いですね」と言われました。
が、高畑さんに渡したところ、正直に「思ったより軽いですね〜」と発してしまい、NGがでましたが、DAIGOさんから察しろ!みたいに言われてました(笑)

幕末専門の鑑定家の方がおられましたが、最初、付き人かスタッフのひとりだと思っていたんです。

結局、19時くらいまでかかって、撮影は終了となりました。
撮影スタッフからマネージャーなど総勢20人くらいは来ていたようです。

最後に写真撮影会となりましたが、DAIGOさん、高畑裕太さん、共にとても感じのいい方でした。

打ち合わせ時にTVスタッフから「DAIGOさんはすごく性格がいいんですよ〜」と聞いてましたが、間違いなかったです。

福子は、撮影時に時々DAIGOさんの顔が間近になったのですが、「とても綺麗な顔だった♪」と言ってました。

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市村鉄之助が佐藤家に着いたのが、147年前の今頃・・・
歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出して、数日かけての航行で6月末には横浜に着いてから、佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日といわれます。
歳三は、一番大切な身内へ形見の品を送りました。
日野の佐藤彦五郎の家にたどり着いた市村鉄之助によって、写真、遺髪、辞世の句や書付けなどがもたらせました。




その後、明治四年(1871年)までの約2年間、歳三の遺言どおり、佐藤家で匿われました。


(先日撮った市村鉄之助が匿われていた部屋。床の間の上部にオーブが見えますが、鉄ちゃんが挨拶してきたのか?(^-^)/
匿われたと云われてますが、最初だけで、読み書きや剣術を習って、普通に生活していました)

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明治2年5月11日は、新暦の6月20日。土方歳三の命日です。



新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。
歳三の最期の時、また市村鉄之助が脱出したのもそんな季節だったので、
函館に居ると、より肌で感じられることと思います。

昨年は、碧血碑慰霊祭140年記念で、館長が“歳三の姉の子孫”として招待され、僕も函館に行きました。とてもいい季節でした。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待つこととなります。出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのでしょう。
到着後、間もなく質屋に立ち寄ったという記録があります。
当時、目的地に行くのも簡単ではない筈です。身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日との説があります。
この時期は梅雨の真っただ中。
鉄之助は、歳三の命を受けて持ち運んだ遺品・・・写真、遺髪、刀、書き付け・・・
「使の者の身の上 頼み上げ候 義豊」
いつもの署名、土方歳三ではありません・・・
そして戦況を伝える手紙は書いていませんでした。


賊軍となってから、筆まめだった歳三が、そこから手紙を一切出さなくなりました。
父母のように慕った彦五郎やノブに、いらぬ嫌疑がかかってはならないと、証拠に残る手紙を書けなかった。何をやらせても、そつなく出来た歳三は彦五郎、ノブへの配慮も忘れませんでした。
北へ向かう会津、仙台、箱館。もっと手紙を出したかったことでしょう。そんな歳三の気持を考えると可哀想だったなと思います。
歳三の一番大切な身内への心遣いは、市村鉄之助に伝言としてもたらされました。

「われ、日野佐藤に対し、何ひとつ、恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を」




旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、東京(当時、多摩辺りは神奈川県)では梅雨の時期だったなんて考えてみて、当時へ思いを馳せるとより実感できるかもしれません。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな~なんて考えてみると、おもしろいものです。

福子は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶでしたので、市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、可哀想でなりません。
歳三の冥福をお祈りいたします。

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6月12日(日)
福子新選組倶楽部のイベントで、「ザ★刀剣」展(東京富士美術館)を見学しました。
都心の美術館にはよく行っている僕ですが、この東京富士美術館のことは全く知らなくて、
今回のザ★刀剣展で、土方歳三の刀を展示のお話しがあって初めて知りました。

美術館の集合時間がちょうど昼時ということで、その前に美術館内にある「セーヌ」で、
サクさんも一緒にランチをすることになりました。
天気もいいので外のテーブルに行きましたが、これがなかなか気持よかったです。



「セーヌ」はフレンチレストランらしいのですが、パスタが充実していて、これってイタ
リアンぽい系フレンチかなー?・・・
でも、ここは展示テーマに合わせた料理もあるらしく、刀剣ランチを頼んでみましたよー。
なにが刀剣なのかと思ったら、サクさん曰く、長ナスがどうも刀を表しているらしいです。



さて、集合時間も近づいてきたのでロビーに行くと、皆さんお揃いなので受付を済ませ、
ご入館となりました。



奥に行くと土方歳三さんが待っていてくれたので、一緒に記念撮影をしました。


(僕のとなりが歳さんです。表情にこそ出しませんが、歳さんも嬉しそうです。)

13時から14時半まで、刀匠・月山貞伸氏と学芸員の鴨木氏のトークセッションで、鴨
木氏の計らいで、全員上席でした。

刀匠・月山貞伸氏はお話しも上手く、刀の作り方についても分かりやすく解説していただ
きました。



長い刀をすり上げた時に、銘が切れて無くなってしまうことがあるとのお話しがあり、当
資料館の彦五郎の刀が、それなんだろう・・・と納得できた気がしました。
というのも、刀の幅や鋒(きっさき)の長さからして、もっと長い刀だろうと考えていた
からです。それに溝(樋)がずっと茎の最後まで彫られていて、随分すり上げた刀であり、
そのため、銘が無いのだろうと思いました。


(一見、月山先生がバイオリンを弾いているように見えますが、実は刀をカメラで撮って、
後ろのスクリーンで映すという技でございます)




(刀身をなるべく良く見てもらうための透明のアクリル製の刀台)

トークセッション終了後には、特別に月山貞伸先生との集合写真を撮らせていただきまし
た。


(僕のとなりが月山さんです。表情にこそ出しませんが、月山さんも嬉しそうです。)

その後、ミュージアム・シアターで「百錬精鐵」月山の誕生や刀を製作するまでの映像を
見ました。

最後にいよいよ刀剣展示の鑑賞となりました。
今回の展示では、約40振りの刀が並んでおりましたが、それはそれは壮観というかすご
い!です。土方歳三の「越前康継」も当資料館での展示とは、また違った趣きで素晴らし
いものでした。


(越前康継の刀身。左手奥にはフルベッキ写真。スタッフ腕章をつけて撮りました)


(特別にスタッフを腕章をお借りして撮りました。ダイヤモンド富士ならぬダイヤモンド福子ですかね。)

他にも四つ胴截断の虎徹など、名刀が展示されていました。


大太刀は刃長が136.5cmもあって、ちょっと見、小舟かと思いましたよー。


この日は、月山貞伸先生を撮り続けているテレビ東京の撮影隊もいて、倶楽部会員のK
さんもインタビューされていました。
7月に放送されるそうです。
それについては、またお知らせできればと思います。


(ブラジル写真展コーナーに、素敵なホテルの古写真)


(常設展には、ルノワールの絵画など西洋絵画がありました。下見の時)


現行のHP 佐藤彦五郎新選組資料館

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6月5日(日)
数日前、福子新選組倶楽部のサクさんから、彫刻家の金子マコトさんが製作した「馬上
の土方歳三」像を納められたらとのご連絡をいただきました。
開館日に来られることが決まり、何点か画像もお送りいただき、是非、本物を見てみた
いと思ってました。

さてさて、サクさんと共に現れた金子さんは、大柄な方で、服装も芸術家の雰囲気アリ
アリでした。
いよいよ「伊場七郎?」と書かれた箱から出て来たのは果たして「馬上の土方歳三」!
なのでしょうか?
プチプチに包まれておりまして、伊場七郎なのか土方歳三なのかはまだ不明です。



でたぁ〜!
馬が出てきましたよぉ〜!
プチプチも取れて、ついに登場したのが「馬上の土方歳三」です!

初めて拝見いたしましたが、馬の躍動感が素晴らしい、俗にナポレオンと呼ばれている
馬が立ち上がった姿の像です!
ヒヒ〜ン...という声も聞こえてきそうです!



それに跨がった歳三ですが、金子さん本人は、いい顔ほどなかなか似せるのが難しいら
しいそうで、歳三の顔はそれ、近藤勇の顔のほうが似せやすいそうですよ(;´▽`A``



国内ではいろいろな歴史上の人物の彫刻を展示、奉納もされているそうですが、篤姫は
パリでも展示されたそうです。

今回、「馬上の土方歳三」を当資料館に奉納していただき、ありがとうございました。
皆さん、見に来て下さい!


(彫刻家・金子マコト氏と)

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