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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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6月25日(木)、碧血碑・慰霊祭に行ってきました。

♪ は〜るばる来たぜ はこだてぇ〜 ♪ ということで、
23日から3泊4日で函館の旅です。

今回、函館で土方歳三ゆかりの地のガイドで、親しい白鳥さんが案内をしていただけるということで、とても楽しみです。

羽田空港から1時間10分のフライトで函館空港に着くと、白鳥さんが迎えてくれました。
さっそく函館の歳三の足跡を案内していただきました。

空港から先ず、歳三ら土方隊が癒された湯倉神社。そこから五稜郭跡に行くまで、歳三が通った旧道を走っていきました。
たぶん、こういった道を行ってもらえるのは、箱館の歳三に詳しい地元のならではの案内だなと感心しました。


五稜郭跡方面に行くと、次は歳三が新政府軍と最後の戦いへの道を行きました。
この道は、五稜郭から箱館山へ真っすぐ続く道で、現在もその道は、途中ガードレールで寸断しているものの、旧道として真っすぐに残っています。

(五稜郭から箱館山への旧道。タワーが見えます)


(旧道は一カ所寸断されています。ガードレールで)

歳三が銃弾で倒れた一本木関門、歳三最期の地として、若松緑地公園内に地碑が祀られていますが、交通や安全を考慮し便宜上ここに建立したそうです。実際の歳三最期の場所は、この辺りですと案内されました。古文書等で調べ上げた白鳥さんだからこそと感心しました。

(歳三が銃弾に散った場所はこのあたり)


(船見町(旧台町)真言寺の境内より矢不来方向。真言寺の境内が山背泊(やませどまり)台場で新選組が守備し、歳三さんもこの台場に立って当時の風景を見たことでしょうと言われました)


(信号は青。運転手は透明人間?)

この後は、新選組屯所や見回りに使った場所、歳三が暮らしていた所、お寺、武蔵野楼跡、箱館丸などを回っていただきました。函館港の石垣は弁天台場のものを使っているそうです。
この辺のことは、佐藤彦五郎新選組資料館日記「福子だより」で。

ホテルまで送っていただき、夜は予約している店に連れて行ってもらいました。

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