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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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11月11日(火)
築地本願寺で催された「本願寺史料研究所公開講座」に福子と参加しました。

これは、9月2日に京都の西本願寺で、新選組新発見史料として報道されまし
たが、「本願寺史」刊行のための調査で、寺務方らの「諸日記」など3 種類に
計14本の記事が見つかったとありました。

歳三が新選組の待遇改善を直談判したことを記述した諸日記の記事に関する公
開講座です。

講座は、9時半〜12時まで、築地本願寺の第二伝道会館「蓮華殿」で行われま
したが、

第1部  「親鸞聖人の行実をめぐる二、三の知見―関東伝道800年に寄せて」
              東京文化財研究所文化形成研究室長 津田徹英

第2部  「新選組 土方歳三のゆ・う・う・つ―新発見史料から―」
              本願寺史料研究所上級研究員 大喜直彦

上記のように、ここに参加された約200名の方々は、ほぼ第2部がお目当て
かと思われます。

会館に到着すると、知っている顔がたくさんおられまして、福子に声を掛けて
いました。
日頃からお世話になっている稲畑さん、お心遣い有難うございました。

原本の公開は検討中ということでしたが、会場のロビーでは、ガラスケースに
「諸日記」等3冊の展示もあって、実際に原本を見ることができたこと、嬉し
かったんです。

受付でレジュメ等をいただき、会場内へ。

第1部の親鸞聖人の話も、レジュメを見ながら、ああそんなんだ〜と一応聞き
ましたけど、やっぱり目的は第2部!です。
第1部が終わり、いよいよ第2部ですが、会場の雰囲気も一気に盛り上がりま
した。



本願寺史料研究所上級研究員・大喜直彦氏の講演でしたが、笑いも交えながら
の熱の入ったお話で、いい感じです。引き込まれます。



大喜直彦氏によれば、歳三が西本願寺に直談判した交渉は、普通のやり方とは
ちがうらしい。

また親長州派の西本願寺になぜ屯所を構えることになった理由を、大喜さんの
考え、その根拠を話してました。



西本願寺の太鼓楼では、明治時代、島田魁がここで警備員していたという記録
があり、実際に1階で暮らしていたそうです。

そーいえば、明治22年、彦五郎の長男、佐藤俊宣が京都に行った時、
歳三の恋人だった君鶴を探したが、もう4年前に亡くなっていたことや、
西本願寺の太鼓楼で、島田魁と会ったことの記述がありました。

諸日記というものは、一般の日記とは性格が異なるもので、諸々の出来事を書
いたメモのようなものを、順番に書き写していくものであると言ってました。

会場では、新選組研究家の清水隆氏、学芸員の矢口氏、日野市ボランティアガイドの会の方々、流山隊の方々、福子倶楽部の方々、それに、よく会う方々等
にお目にかかれました。それから若手研究家の宮本氏には、彦五郎忌講演会で、
Vのお願いまでして、ありがとうございました。

帰りがけに、新選組研究家で時代考証でもおなじみの山村竜也氏が、写真を撮
りましょうということで、皆で撮りました。



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先日、生憎の雨でしたが、永倉新八の直系!ご子孫!!、四代目、ひ孫!!!の杉村和紀さんが、峯岸さんの案内で当資料館に来られました。

当日、杉村さんが資料館を見学したいとのことでした。

意外に早いご到着。今回は、きれいな奥様もご一緒でした。

大河ドラマ「新選組!」をやっていた年は、何度か日野に来られていましたが、
なかでも印象に残っているのが、杉村さんは北海道テレビのディレクターで
曾祖父にあたる永倉新八さんの足跡を辿った番組、「新選組。永倉新八からの伝言」という番組を制作していました。
そのため、日野を訪れ、福子にもインタビューしていました。

今回は10年ぶりの日野だそうです。

元々がっしりした方ですが、今回、ひと回り大きくなったような・・・
少し白髪も混じって髭もあり、まるでデカプリオ!みたいでした。
(今回の写真は「福子だより」に載っています。)



写真は、2004年9月、日野宿本陣を訪れた時、ご一緒に。

ちなみに、ラインでは、杉村和紀さんとは友だちなんです。(笑)

杉村さんは、今年の1月5日、永倉新八・百回忌法要を、小樽の菩提寺で営まれました。

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日テレの“嵐にしやがれ”が、佐藤彦五郎新選組資料館を収録ロケしましたが、23日(土)22時〜オンエアされました。

日野宿本陣でロケをしてから、当資料館にて収録をしました。

杏さんと嵐の皆さんが入って来られ、間もなく収録が始まりました。

館長の福子が紹介され、ご挨拶をしましたが、
杏さんは、この資料館が開設したのが、2006年ころというのをご存知だったようです。

嵐の皆さんも素敵な人たちで、スターのオーラが眩しかったですね。

福子が資料の説明をしていき、最後に刀を杏さんに手渡すという大役をすることになりましたが、
無事終えることができ、ホッとしました。

カットもなってしまったシーンも多かったのですが、展示資料をご紹介いただいたので良かったです。

ファンの皆様、是非「佐藤彦五郎新選組資料館」に足をお運びください。

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先日、青森の三沢市に行った時のこと・・・

三沢市長表敬訪問がありましたが
その時の模様が、青森テレビのニュースに流れまして
その時のDVDなど、3枚送られてきました。

市長室の応接間で、三沢市長と福子が会談して
僕が近藤周斎の書簡を広げるという映像でした。
まあ、いい映像だったんですけど、
最後まで撮れていなかったのが残念。
でもまあ、いい思い出です。

他にも、先人記念館の「新選組と廣澤安任」展の
特別編集されたDVD。
これは、新選組の流れと廣澤安任のことがよく分かります。

もう1枚は、十和田湖、奥入瀬渓流に行ったときの写真です。
これは、ドライバーの大塚さんが一日撮ってくれていたのですが
いい記念になりました。

ありがとうございました!

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さて、今回が最後です。

十和田湖から続いて向かったのが、三戸にあるキリストの墓です。




ちょっと小高いところにあって、坂を登っていきましたが、今日、一番疲れた場所でした。



どういう事情があったか知りませんが、説明書きを読むとキリストが来たそうで、、、、
ここにキリストのお墓があります。
まあ、近藤勇や土方歳三のお墓もあちこちにあるんで、そういうことかも、、、

つぎは、新選組三番隊長だった齋藤一の住居跡です。



齋藤一もどういう事情があったのかは分かりませんけど、会津で降伏したあと、明治6年頃ですか、会津藩の皆さんとこの辺に奥さんと共に居たそうです。
田んぼ辺りが住居だったそうです。

ここは、普通では見つけられない場所だそうですが、桑嶋さんの頭の中の桑嶋ナビにより、ここに辿り着くことができました。さすがです!


さて、このあと五戸代官所を見学しましたが、復元したものだそうです。
古そうに見えますけど、そういえば、木の白い感じもまだ残っていますねぇ。



この後、八戸駅まで送ってもらい、お土産センターに立ち寄って帰京しました。
桑嶋さん、大塚さん、お世話になりました。
ありがとうございました。

行った時期がよかったのか、青森はさわやかでした。
今回、お会いした方々も親切で、素敵な人たちでした。
自然もたくさん残っていて、気に入りました青森!
また行きたい青森!

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