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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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毎年この時期、大昌寺で「お施餓鬼会」が行なわれます。
餓鬼に施しをする法要だそうです。
つまり餓鬼に飲食を施し、苦しみから救済し、先亡の霊の冥福を願って、、、

まあ、つまり、、、詳しいことは知らないけど
そういうのに出たってことなんですよー。はは、、、

本堂は人でいっぱいでした。
有山さんがいらっしゃって、久しぶりにお会いしました。
少しお話しできてよかったです。

彦五郎とのぶの四男・彦吉が継いだのが有山家です。
彦吉が幼少時、ケガをして大泣きした時、
歳三が「男の子の向かい傷だ、めでたい、めでたい」と抱き起こされた
という、、、まあ、彦五郎の子供たちの子孫です。

この日は、大昌寺ご住職を始め、約10名ほどのお坊さんが出張されていて
お経は、10倍の迫力でした。
この大昌寺は、増上寺末のお寺なので、三つ葉葵の御紋ですが
お坊さんたちの服(服でいいのか?)も金の葵御紋が入っていました。

一時間ほどで、お施餓鬼の法要は終了しました。
いやあ、途中、もうちょっとで寝るとこでしたよ。

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1月8日(日)日野市消防団の出初式が行われました。

朝7時半に、1分団2部の詰所に集合、多摩川河川敷のグランドへ。
北風もなく、霜柱もなく、とてもいい感じの出初式です。

そうこうしていると、2分団の井上雅雄さんがこちらに来られました。
ここで年始の挨拶を交わしましたが、
井上雅雄さんとは、ご存知、井上源三郎のご子孫です!

9時から、式典の練習が始まり、足元が揃わないバラバラの行進を2回程やりました。
いつのまにか来賓の皆さまも、テントの中でご着席に。
来賓用のテントも、以前は土手側に建てていましたが、日当りが良く、暖かく過ごしていただけるようにか、昨年から橋側に建てています。

10時、いよいよ出初式が始まりました。

本番の行進が終わり、整列しましたが、穏やかだった天気が、急に北風ピュ〜ピュ〜に!
いやぁ〜、寒い中、鼻水垂らして、突っ立っているのも、辛いものざんすよ。

風は、勢いを増して、土誇りも立て始めました。
目も開けてられません。
「こんな時、ご来賓の皆さま、ご挨拶は短めにね。」
、、、と、心に中で念じておりました。

式典終了となるやいなや、さっさと車に乗り込み帰ったのでした。

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あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。


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「龍馬1865」という名のビールを発見しました。
日本ビール株式会社というところから、出しているようで。

いったいこれは??、、、
坂本龍馬のなにかに因んで作られたものなのか?
龍馬が好んだ当時のビールを、再現したものなのか?
鶏鍋をつつきながら飲んだものなのか?
その当時、ビールはあったのか?
なんで、こんなに安いのか?
ってことは、第三のビールなのか?

いろんな疑問を抱えつつ、よーく見てみると
ノンアルコールと書いてある。
ってことは、龍馬は下戸だったのか?

さまざまな疑問を持たれた皆さまのために、缶に書いてあるコピーを読んでみますと、

「龍馬1865」の由来は、幕末時、長崎にて商社を創業し、グラバー氏との取引を始める。その交友からビールを譲り受け、龍馬が初めて飲んだ年が1865年であるんだとか。

麦芽100%ぜよ! プリン体ゼロ! 15カロリー!だそうで。

さっそく買って飲んでみました。
なんか、幕末の薫りがするような気がしてきました。

ちなみに、ノンアルコールは、KIRIN FREE、Asahi W-ZERO、SUNTORY ALL-FREEを飲んだことがありますが、味はビールとは違います。
好きなのは、SUNTORY ALL-FREEですかね。

ビールなら、それほど飲めないけど、キリンラガークラシックか、アサヒスーパードライが好きですね。

ryoma1865

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東日本大震災は、場所によっては復興の先が見えない。
日野市消防団第一分団の有志が、ゴールデンウイークを利用して
岩手県大槌町にボランティアで復興の協力をしたが
360度、瓦礫の土地であったという。

福子は3月、来4月の資料館の入館料を、災害地に寄付を提案した。
家族で話し合い、入館料全額を寄付しようとなった。
それに伴い、新しい資料の展示があるといいのでは?と思い、
30年前に父・あきらが亡くなった折、菩提寺である大昌寺様に
母が永代供養にと奉納した歳三の書簡を2か月間、借りるという案がでた。

その後の経過は、ブログ『福子だより』の通りであるが、
災害が起こった時の行動は、彦五郎の遺伝子が脈々と続いているのだろうか。

彦五郎は安政元年、幕府が品川沖に砲台を造った際、献金をした。
また、文久2年には、コロリ(コレラ)が、日野にも猛烈に蔓延し
死者も百余人に及んだが、私財米穀を出し、かつ薬剤を広く施与、
その功績により、将軍家から、二回、白銀を賜った。

思わず、福子の行動は、彦五郎の遺伝子ではないかと思ってしまう。

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