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佐藤彦五郎新選組資料館、ビートルズ、旅行、絵画、新選組、佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ直系子孫・福子の旦那、などについての日記。この難解な日記は、たぶん最低3回読まないと理解できないかと思われます。   褒めると伸びるタイプです。

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平成27年11月23日、
勤労感謝の日のこの日、「日野新選組ガイドの会」が新選組のふるさと“日野宿”から“たかはたもみじ灯路”の高幡不動尊までを案内する「幕末の歴史散歩」が行われ、当資料館にはお昼前後に約20名ずつ計約40名が見学に来られました。

生憎、今日は昼から雨の予報ですが、曇りの状態をキープしたままなので、このまま降らずに高幡不動尊までいってくれることを願っております。

休日のせいか、ほぼ歴女の皆さまがほとんど占めておりました。
皆さん、大変熱心に説明を聞いていただきまして、さすが歴女、新選組ファンと感心しました。

お話しを伺いますと、皆さん、当資料館に何度か来られているようで、歳三さんのレプリカ写真を財布に幸運のお守り入れています!という歳三ファンもいましたよ(^o^)



移動時間もあり、朱印帳も急いでお書きしました(^-^;)
ありがとうございました!

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11月21日(土)
当資料館倶楽部主催で、小島資料館、旧富澤家の見学会を行いました。

遠くは京都からの会員も来てくれました。
当資料館にもよく来館していただいていますが、6月に函館で催された「碧血碑慰霊祭」でもお会いした熱心な新選組ファンです。
多摩モノレールの立川南駅に9時集合!
立川から多摩モノレールで多摩センターへ。ここで合流しバスで小野路へ。
小野路・中宿バス停で降りると、の付近に、名主・橋本家跡があり、簡単な説明をしました。

その後、23名で小島資料館での見学となりましたが、庭が広くきれいに手入れされていました。
そこに柴犬がいましたが、うちの柴犬のように吠える事もなく、すぐ懐いてしまうかわいい柴でしたよ(笑)

先ず庭で、小島館長のご説明がありました。
記憶が正確ではないかも、でも一応書いておきます(笑)
印象深かったのが、上野寛永寺から譲り受けた葵御紋の入った大きな灯籠でした。
灯籠には弾痕の傷が残っていました。


(灯籠の弾痕を説明)

小島鹿之助さんの銅像がありましたが、資料館の横の見えにくい方には、近藤勇の銅像があり、これは結構似ていて、りっぱな像でしたが、なんでこんな見えにくい所に?
庭にあったら、来館された皆さんも拝みやすいかもしれないですが、事情があるんでしょうね(笑)


(表庭にあってほしい近藤勇像)

もし銅像を作るなら、正面だけでなく横顔の写真も撮っておいたほうが良いと小島さんが言ってました。
犯罪をおかして警察につかまった時に撮るような感じですかね(笑)

資料館の中に入ると、特別に掛け軸と襖の展示があり、
掛け軸は、幕府の医者・松本良順の書が2幅と鶴の絵1幅でした。
皆さん、ここは写真をバシバシ撮っていましたよ。


(松本良順の掛け軸二幅)


(襖も出していただきました)

この後、資料展示室に向かいました。ここからは撮影禁止区域ですね。
近藤勇のどくろの半纏が目に止まりましたが、小島さんに説明では本物は保護のため、レプリカの展示だそうです。他にも沖田総司の年賀状もレプリカと書いてありました。
展示室は資料が山のようにあり、小島さんは懇切丁寧にご説明くださいました。
また有名な、土方歳三の「報国の 心忘るる 婦人かな」の手紙もありましたよ。

この後は昼食のため、向かいの小野路宿里山交流館に移動しました。
ここは、当時角屋という旅籠で、それを再現したものです。
メニューはうどんセットのみで、これは一見お蕎麦みたいですが、この地独特の伝統的なうどんらしいのです。
多分、歳三や沖田総司らもこれ食べてましたよ!という冗談が受けました(笑)


(山南敬輔も食べた?笑)

お昼の後は、隣りにある小野神社へ向かいました。
近藤勇、沖田総司、土方歳三、山南敬輔らも、何度となく訪れ、祈ったことでしょう。


(小島家すぐ傍の、出稽古の度に参拝しただろう小野神社)

次は最後の見学となりますが、中宿からバスで多摩センター方面に移動し、見学したのが「旧富澤家住宅」です。
近藤勇たちとも交流があった富澤忠右衛門宅で、平成2年に多摩市連光寺より移築した由緒ある建物です。
特別に学芸員の方が、休みにも拘わらず私たちのために解説しに来ていただきました。
説明の機会がないとなかなか知る事のできないお話しも聞くことができました。
ありがとうございました。感謝申し上げます。

ここも忠右衛門が天然理心流に入門したため、近藤勇たちが出稽古に訪れていた関わりのある家ですが、忠右衛門も家茂上洛に追随し4ヶ月もの間、京都で過ごし、ここでは土方歳三、井上源三郎を始め、多摩に出稽古に来ていた面々と交友をもちました。
それらのことは、忠右衛門が書きのこした「旅硯九重日記」として出版されています。
歳三たちとの歓待のようすが書かれていますよ。

とても有意義な一日となりました。


明治天皇もご休憩された奥座敷)


(富澤家式台前で記念撮影)

ツアーに参加された皆さん、一日お疲れさまでした。


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大國魂神社(六所宮)での近藤勇宗家四代目襲名披露の野仕合があり、その後、近くの旅籠「松本楼」でどんちゃん騒ぎをしたという話しが残ってます。
この「松本楼」は「松本屋(前 松本旅館、現 HOTEL松本屋1725)」と間違えやすいのですが、別物です。
「松本屋」のほうは、現在「HOTEL松本屋1725」として営業しており、当時は六所宮の天然理心流奉納額や襲名披露の打合せなどで彦五郎らが利用したようですが、襲名披露のどんちゃん騒ぎは「松本楼」で行われました。
近所の方にお話しを伺ったところ、こちらは明治の頃には、新松本楼と名前が変わったりしながらも、昭和10年代くらいまであったそうです。「もともと女郎屋の宿だったんですよ」とおっしゃっておられましたが、飯盛り女を抱えていた旅籠でした。

この辺りは、府中宿の中心で、高札場や旅籠もたくさんあったようです。また馬を置いておく馬場もあったそうです。

『聞きがき新選組』にも、血気盛んな若い戦士たちが、野仕合の後、大騒ぎしたことに触れていますが(彦五郎は用事があり、野試合の後、他のところに行った)
それを小島鹿之助さんが耳にして
「斯かる襲家披露の功業は青史に留り千百歳其名赫々たるべきに誠に口惜しき事に御座候」
と、一筆彦五郎に寄せています。
血気盛んな若い戦士たちですか~…う~ん、仕方ないです〜、、emoji

最近は『内田家具店』があったそうですが、現在は、空き地になっているとおっしゃってました。
現在は駐車場として利用されていました。
隣りの柏屋(酒屋さん)は、1789年創業で、現在も営業されています。
松本楼にも納品が多かったことでしょう。

松本楼跡

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平成27年(2015)10月12日(月・休)

本日は「体育の日」で全国的にお休みですが、体育の日といえば、1964年10月10日、東京オリンピックの開会式の日ということで、設定されたような気がしますが、現在ではそのあたりの月曜となったようで、開会式とかはどうでもいいような感じです。
そんな体育の日に、大國魂神社に於いて奉納演武が行われました。





大國魂神社(府中六所宮)といえば、近藤勇の宗家四代目襲名披露の野仕合が、文久元年8月27日(この日の他もう一回)にございましたが、そんな縁もあって毎年行われています。



今回は「勇武館」と「全日本刀道連盟」による奉納演武です。
まず、「全日本刀道連盟」ですが、白い道着が印象的で、先生、門人たちが真剣を使っての試切を披露してくれました。

水を含んだゴザを丸めたものを土台に突き刺し、数カ所に置いて、いろいろなやり方で、皆さん、次から次にスパッ!スパッ!ッと斬っていきます。
資料館にも何度か来ていただいた女性も、真剣でいてビックリです!

何人もの門人たちが、あまりにも素早く斬りまくるので、手元が滑って刀がこっちに飛んで来る事はないのか?飛んできたら手で払い落とせるだろうか?それとも刺さって死ぬのか?いろいろと妄想は膨らみましたが、何事もなく終了しました…ハハハ



続いて、天然理心流『勇武館」の演武です。
近藤勇生家ご子孫の宮川清蔵さんと、井上源三郎生家ご子孫の井上雅雄さんを中心に、門人たちが天然理心流を披露します。
太い木刀での型をやったりしますが、ここでも門人が真剣でスパッ!スパッ!斬っていました。
難しいのが、スパっと斬って、斬った上の浮いた部分をまたスパッと斬る芸です!
昔、王選手が糸に吊るした小さな紙切れを真剣でスパッと斬ってましたけど、力まず無心で音もなく斬るって感じでしょうかねぇ・・・




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八坂神社に奉られている「天然理心流奉納額」が、9月20日の八坂神社例大祭に公開されます。(公開は、ひの新選組まつりと八坂神社例大祭の年2回)



20日は当資料館の開館日でしたが、途中抜け出して八坂神社へ。
裏門から境内に入ると、たくさんの屋台が出店していて賑わっていましたが、社務所の前では、ちょうど宮川清蔵さん、井上雅雄さんの「勇武館」が奉納演武を演っていて、人垣が出来ていましたよ。

天然理心流奉納額を見るのは初めてではありませんが、今回は目に焼き付けてこようと思いました。
本殿に入ってみると、人がきれた時間だったのが誰も居ず、「天然理心流奉納額」を展示しているところに行きました。

安政5年(1858)に奉献された剣術額、「天然理心流」そして「近藤周助藤原邦武」「門人」とあり、井上松五郎一俊、佐藤彦五郎正俊、と日野宿の剣士たち23名が続き、最後「起」の後に沖田惣次郎藤原春政、嶋崎勇藤原義武(近藤勇)の名が連ねてあります。
沖田総司はまだ16歳だったと、宮司さんが言われてました。

安政5年のちょうどこの時期に奉納された額だそうで、ガラスケースに入った奉納額は、墨文字が薄くなっているような気がしましたが、存在感はありました。

その後ろには、扁額を「八坂社」に替えてから、140年ぶりにお目見えした「祇園社」の扁額が立て掛けてありました。
こちらは今朝8時半に来て、宮司さんに見せていただきましたが、立派な扁額です。
奉納額から2年後に作られたものですが、当然、歳三もこの2つの額は見ているはずです。



おじいさんが「ご説明いたしましょうか?」と寄ってきて、お話ししてくださいました。
本殿の横、後ろの面には、大変見事な浮き彫りの彫刻があり、龍や馬に乗った者たちの話、中国の出来事や話を掘り込まれています。

少しの時間でしたが、本物を目に焼き付けるという命題を果たしたのでした。

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